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サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part6 [Sound museum, radio]

サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part6



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N:西寺さん

このディスティニーというアルバムを作るまえにでっかい出会いと言うか一つマイケルにとって大きな出来事があって、 それが映画「ウィズ」。(そうですねー)
ですよね、これはもう皮肉なことにというかモータウンが製作した。


「The Wiz」
参考までに、映画を見たことない方はこんな感じです。






Y:吉岡さん
そーうですねー、これ面白いよねー(苦笑)


N:
面白いんですけどね、ここは主演がダイアナ・ロスできっちりアメリカの映画なんで、こうオーディションをした中で―、かかしの役をマイケルが得ると。(うん、うん)

その中で音楽監督だったクインシー・ジョーンズさんと出会うと。(そうですねー)

あとー、夜中に踊りに行くマイケルがお姉さんのラトーヤと一緒にニューヨークに住んで、ちょっと今まで自分の自宅だったりホテルに缶詰だったりしてきた人生が、ちょっと夜遊びみたいな事を映画を収録している間に覚えると、
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スタジオ54↓
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それが本当にディスコの全盛期と言うか、ディスコミュージックの一番炸裂し始めの、炸裂し始めてから炸裂しているときに、スタジオ54というクラブだったり、現地のクラブにセレブとして出入りすることが出来て、そこでいろんな人と会ったというのが次のアルバム ディスティニーにものすごく影響を与えますよね。

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Y:
あのー、ウィズの撮影が77年の11月でそれから次のアルバム ディスティニーを作り出すという風になるわけですが、ここではジャクソンズの3枚目のアルバム ディスティニーから一曲を紹介したいんですが、

これは、本当に自分達で曲作りをして、しかも弟のランディーが一緒にかなり曲作りに参加しているんですよねー。

N:
これは、マイケルはやっぱりそのニューヨークでみたディスコサウンドの新鮮な感じ?(うん)
あの先ほどまで「show you tway to go」のすばらしさっていうのは聴いていただいている方には伝わっていると思うんですけれど、それと今からかかる 「shake your body」の違いを感じていただきたいんですけれども。
この 「shake your body」という曲はなんかこうーマイケル・ジャクソンというミュージシャン、ソングライターのいいところがすごく原型として詰まっている
と。

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Y:
これが後のドントストップとかワーキングデイアンドナイトとかあーいうのとかのプロートタイプとかになるんですね。今から思えばね、かっこいいマイケルの原点になる曲だなと感じますねー。

ではアルバムDistinyから「Shake your body (down to the ground)」


後半辺り、マイケル笑顔発見!
この頃から腰の動きとか足の上げ方とかダンスの流れがマイケルっぽいですね。



アルバム発表の頃の映像。
途中から女の子達がダンスに加わるんですがポリスもいる。。(?)手がかかったものですね。(笑)





N:西寺さん
いやーいいですね。これがもう30年前の曲?

Y:吉岡さん
78年だから30年ちょっと前のもの?すごいなー。

N:
でもやっぱりその今までのモータウンの曲ももちろん素晴らしいですけれども、この曲なんかは普通にいまでもクラブとかでもかかって、全然古くないというか、特にいまリバイバルの気配はありますけれど、本当に現代的なモダンな曲だなと思います。っていつも思っているんですけれど・・・。

Y:
この辺りから本当に自分達がLAのミュージシャン達と一緒にコラボレートして、デモテープを作ったり本番のレコーディングをしたりと・・かなり音作りに自立していくというのが来る感じはありますよねー。

(そうですねー、はい。)

でまあこれが1978年に出て、でいよいよ「ウィズ」も出て、クインシーと出会い、で自分のソロアルバムを作るといった時に、「誰かいいプロデューサーいないか」とクインシーに相談する、そこでいよいよマイケル・ジャクソンとやるんだけれども、


とにかく「ウィズ」の撮影しているときにクインシーとマイケルは人間的に凄くいい関係が出来ているんですよね、明らかに(はい。)
それは例えばクインシーからするとマイケル・ジャクソンというアーティストがそれこそ宿題を前日までにきっちりやってきて本番ではびしっと決めると。そのプロフェッショナリズムに感銘を受けていた、こいつはすごいやと。
ちゃんとやってくることはやってきて、実際本番でも実績を残すと。ちゃんと仕事をするところにいいと思っていて
彼となら仕事ぐらいは出来るだろう位は思っていたと、

で、マイケル・ジャクソンはマイケル・ジャクソンでそのクインシーのプロフェッショナルなプロデューサーとしての力っていうのは最初はわからなかったけれども「ウィズ」をやっている間にわかってきて、それプラス自分より凄く年上で父親的な存在でもあってやさしいと。でいいガイドもしてくれるってこともあって、
人間的に圧倒的に信頼できると思っていて、その辺の総合的に彼でいきたいっていう風に思っていくんじゃないですかねー。

N:
それからこのアルバム「Off the wall」の中で
Don't stop 'til you get enoughやWorking day and night、ベイシストのルイス・ジョンソンと一緒に作ったGet on the floor 。
マイケルのオリジナル曲が入るんですけれど、このアルバムに。
Don't stop 'til you get enoughだったりWorking day and nightでも
マイケルは基本的に楽器を使わない、いかにマイケルが口でいろんな楽器を歌うのがうまいかはいろんな場面で皆さんご存知かもしれないですけれど、・・
「ドゥドゥン、ツゥッツードゥーンドゥン」(西寺さんボイパ!)とか、(Y:うまいねー)
そういうのをキーボードが弾ける人だったり、いろんな人と作っている間にやっぱ共作になっていくことって多かったと思うんです。


Working Day and Night (Original Demo from 1978)
このオリジナル聴くと西寺さんのおっしゃることがわかりやすいです。
最初の話声は誰なんでしょう?兄弟かな?1234がいいですねー!






N:
僕もわりと作詞・作曲するんですが、今はわりとある一定の楽器はできるようになったんですけれど、小中学生の頃は頭の中で作曲はするんですが、その曲をどうやって演奏者に伝えれていいか、高校生のときとかバンドやっていてどうやって伝えればいいか、非常に難しくて自分の頭のなかではヒット曲のようにステレオでベースラインもギターもドラムも鳴っていると、割と同じ感覚で作曲を続けてきたんで、マイケルがみんなに説明するときのは本当に自分がバンドのメンバーに説明しているときと同じで。
ただ、同レベルというか同じバンドマンだったり兄弟とやってる間はキーボディストが作ったコード進行みたいなもののなかではキーボディストの意識の中では僕も作曲に参加しているという意識が生まれてくるんですよ。

クインシーはその部分でマイケルの作曲能力、特にリフレインを作る能力、ベースラインを作る能力がもうできているっていうことをクインシーはわかっていたのでそれをマイケルから引っ張り出して マイケルジャクソンの作曲だとちゃんと高々にうたってあげたっていうことはマイケルのとってそれはハッピーなことで、それまではランディーとの共作だったり、だれかとの共作だったり・・・。 作曲家マイケルを手助けするスーパープロデューサーとしてのクインシーの存在はマイケルにとって有り難かったんでは。

このオフザウォールはクインシーも本当に好きだと、いろんなインタビューで言ってますから、ちょっと聴いてもらいたいですね。

「Rock with you」
(*作詞・作曲はRod Temperton )



Don't Stop Til You Get Enough

http://www.youtube.com/watch?v=HrPTDU40hO4



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サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part5 [Sound museum, radio]

サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part5


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Y:
続いては、
自分たちで曲をプロデュースしたい、ということで

いよいよモータウンレコードというところからエピックレコードというところに移籍します。

N:
これでも、もうモータウンの話だけでも普通のアーティストだったらもうそれだけで伝説と言えるような記録を残したんですが、
マイケルの話をするときにやっぱ、どうしても今もしくはスリラー以降の先入観ていうか実際起こったことが自分たちの体に染みてるんで、そういう目でみちゃうんで、この頃は凄く過渡期のように見えるうんですけれど。

当時の目でみれば、僕はもちろんまだ子供ですけれども吉岡さんからの目でみれば、J5はもう終わったと、マイケルはもう古いと、完全に子供から大人になるのに大変だったな、おしまいというような目があったと思います。

Y:
そうですね、実際J5はもう終わりだみたいな風潮はありましたよね。
実際ダンシング・マシーンはヒットするけれども、その後のヒットが出てこなかったということもあって、しかもマイケルジャクソンの子役スターとしての役割は終わっているという見方はありましたよね。

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ところが、父親はここからだと、(笑)

N:
僕はだから何度もジョー・ジャクソンという父親のとんでもない人だという風潮があるなかで、ここに関しては天才だと、(すばらしいことですよね)
あのこのモータウンていうレコード会社60年代ほ本当に比類ない成功をおさめ、70年代モータウンそのものがパワーダウンしていったと、
でその中でモータウンのスタッフも含めみんながJ5はもう終わりだと思っていたが、親父だけはいやいやこれからだ、J5はこれからでどっちかっていうとモータウンの方が終わっている、っていうような、まあ結果的にはあっていたんですけど。(笑)

そこで凄く厳しい契約を結んでいたのでJ5とモータウンは。
それでそのジャクソン5という名も結果とられ、モータウンに所有されていたので、いろんなことがありながら・・・

お兄さんのジャーメイン・ジャクソンさんはモータウンの社長ベリー・ゴーディの娘へイゼルと結婚したりしていたのでそのいざこざでモータウンにジャーメインは残り、兄弟は4人になってしまい、一番下のランディを加えて兄弟5人組みにして名前もジャクソンズに改名する。



そこのわりとね強引なお父さんの奮闘、そこはマイケルも生涯感謝していたと。



Y:
まあ、具体的に言うと印税の率が例えばモータウンは2.8パーセントだった、それがエピックでは20パーセント近いものがもらえるという。
全然待遇もちがう、それからプロモーションにかけてもらえるお金もちがう製作費もちがうな事と、後もう一つこの新しいレコード会社に移籍するうえで彼らが条件にしたのは

自分たちの曲を歌いたいんだと作詞作曲したいプロデュースしたいと。


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まあ、それがモータウンでは許されなかった。それを許してくれるならこっちに移りたい、これが一つの大きなターニングポイントになりました。


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彼らが自分たちで曲を書き、プロデュースするっていうことが、これは75年のことですが後々79年以降のオフ・ザ・ウォール、スリラーなんかにどんどんつながっていくことなるわけなんですね。

N:
それでエピックに移籍した後に・・まあここで話が簡単でなかったのが、じゃあエピックに移籍したからいきなりジャクソンズで全曲ジャクソンズで兄弟が書いてていうふうにはやっぱりならなくて、
当時、全盛を誇っていたフィリィーソウルという音楽ムーブメントとギャンブル&ハフ。(ケニー・ギャンブル&リオン・ハフ)

参考: ジャクソンズを手掛けたケニー・ギャンブル&リオン・ハフは、71年にフィラデルフィア・インターナショナル(PIR)を始動させ、オージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルーノーツ、ビリー・ポールといったスターを送り出した、フィリー・ソウルのソングライター/プロデューサー・デュオ。 彼らは流麗で躍動感のあるサウンドを奏でる音楽集団MFSBのトップに立ち、人類愛や家族愛、世界平和などをテーマにした曲を創作。60年代都市型ソウルの代表がモータウンなら、70年代のそれはフィリー・サウンドとはよく言われるところで、流行に敏感だったジャクソン兄弟がギャンブル&ハフとタックを組む。

Y:
でそのギャンブル&ハフと一緒に作って最初2枚のアルバムをだすんですがその中からの一曲を


76年のジャクソンズのショウ・ユー・ザ・ウェイトゥーゴー

Show you the way to go. Live 1977



すでに ウッ・アッが聴こえますね。



MJつながり
Men Of Vizion - Show You The Way To Goのカブァー
テディ・ライリーの秘蔵っ子・あの3T同様、マイケル・ジャクソンのMJJ所属。




・・・・・・・・・・・・

Y&N:
これはいい曲ですねー
まー何といういい曲ですか・・。

N:
マイケルはモータウンの時曲作りには一切参加させてもらえなかったと、それでフリィーソウルと出会ったジャクソンズの「ザ・ジャクソンズ」ですねこの時期は、ジャクソンズのときの二枚のアルバム、そのアルバムには何曲かね曲を作らせてもらえる権利ね、これはー父親ジョーとマイケル達の要望でやっぱ全部ギャンブル&レオン・ハフがやったわけではなくて、そういうチャンスをもらえたと、で尚且つ彼らがいろんな彼らがモータウンのプロデューサーと違って丁寧にその辺を教えてくれたっていうギャンブル&レオン・ハフっていう・・未だに感謝していると。

ケニー・ギャンブル&リオン・ハフ↓


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Y:
でいよいよ最初の二枚ではそれぞれ2曲ずつくらいしか書けなかったものが、これでいよいよ僕達が本当に主導権を握って僕達のアルバムを作りたいんだということで、
かなり積極的に自分達の作品を、デモテープを作ってでそれを形としてはプロデューサーはいるけれどもミュージシャン選んで作ってていうことをやりだすのが3枚目のアルバムということになるんですね。

The Jacksons - ザ・ジャクソンズ


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マイケル17才の歌声が美しい。このアルバムの中で最も売れものは「Enjoy yourself」。しかしマイケルのカリスマ性がやや薄れた感がみられるのも、レーベル移行してのジャクソンズ・ファーストアルバム、兄ジャーメインとのゴタゴタという背景からかもしれません。「Blues away」ではマイケル独特の深い息づかいでの歌い方のルーツかもしれない。 邦題:「僕はゴキゲン」(すごい邦題名・・)

Blues away のみMichael Jackson 作詞・作曲担当 Style of life ではTito & Michael Jackson 作詞・作曲


Goin' places  ゴーイン・プレイシズ


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前作と同じくケニー・ギャンブル&レオン・ハフのコンビ+ジャクソンズでのプロデュース。前作よりも心なしかアルバムタイトル曲「Goin'Places」や「Do what you wanna」など活気が感じられる曲も多い。彼らの手による「Even though you're gone」、「Heaven knows I love you, girl」「Find Me A Girl」はラブソング。また「Man of war」は戦争はなくそうというすばらしいメッセージ曲。 邦題は「青春のハイウェイ」(時代を感じますね・・。)

Different kind of lady とDo what you wannaは The Jacksons がオール作詞・作曲・プロデュース。


N:
そうですねー。
(曲が自分達の曲が結構増えていくんですね。)
もうほとんど一曲を除いてすべてですね。



The Jacksons ディスティニー Destiny (All songs are produced by The Jacksons)

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このアルバムがリリースされた年にはマイケル20才。このアルバムがジャクソンズとして初の成功を収めた年にもなる。聴いてみると先の2枚のアルバムとサウンドが全く洗練されて進化しているのがよく分かる。実質的にジャクソンズが完全プロデュースデビューを行ったアルバムでもある。マイケル自身も声変わり以後の発声法を確立させた安定感あり。 邦題:「今夜はブギーナイト」

詳しくはBlame it on the boogie のみ作詞、作曲がM.Jacksons ・D. Jackson ・E. Krohn である。
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サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part4 [Sound museum, radio]

サウンド・ミュージアム~マイケル・ジャクソン part4




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Y:
マイケル・ジャクソンはジャクソン5で、ほんとにこの頃から子役スターとしてスーパースターに成っていくんですが、70~74年にかけては、いくつかの悩みって言いますかね、変声期っていうのが一番大きいと思うのですが、それからあと、子供時代の彼のその普通の子供たちだったら小学校にいって放課後校庭で遊んで友達と一緒に遊んでみたいな事が出来るんだけど、それが出来なかった。

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N:
そうですねー、やっぱりこのジャクソン5とかジャクソン兄弟をみて思うのが上のお兄ちゃん達3人ジャッキー・ティト・ジャーメイン3人はやっぱ無名時代に学校に行ってるし、そういう友達と遊んで野球してみたいな一般的なことをしながらも夜に一生懸命J5の練習したと。で一つ上のお兄さんマーロンとマイケルは本当に生まれたときからJ5のメンバーであって過酷な特訓をしていた、。
まあ、これは僕の意見なんですけど、でその父親がねジョー・ジャクソンこの人は凄い訓練をしてその訓練がある種虐待に近いくらい過酷なものだったと、でこのジョー・ジャクソンていうお父さんはやっぱ非常に叩かれている。
でー、鬼のようなわりと存在というか鞭で叩かれたとかいろんなこと言ってるんですが、まそれはもちろんそうなんですけれども、ただやっぱりそのー例えばピアニストでプロになるというクラシックの人たちだったりスピードスケートでも何でもいいんですけど、野球でもいいんです甲子園出るとか、この時代は日本で言えば巨人の星とかそういう熱血な時代で今だったら虐待って言われていることも仕付けというかあっただろうし、



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マイケルがこれほどまでのスーパースターに育ったのははやっぱり、これはマイケルの精神的な部分では凄く哀しいことだったかもしれませんが、やはりそのお父さんの導きっていうのはやっぱでかかったと僕は思うんですよね。

Y:
あのーそれ僕もそう思いますね。この時期モータウンレコードからはなかなかジャクソン5からのヒット曲が出にくくなるんですけれども、そんな中で彼らの起死回生の作品が一曲74年にでます。
その曲をご紹介しましょう。


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74年頃


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ジャクソン5で ダンシング・マシーン


まずはソウルトレインから
マイケルの笑顔が素敵ですバージョン。1:39辺り注目スマイル。下のオーディエンスもノリノリ。



ロボットダンスがよく見れますバージョン
後半マイケルが客席に降りて一生懸命いろいろ話しかけてます。ある意味貴重シーン。



N:
モータウンレコードというのは素晴らしいレコード会社だったんですが、かなりそのボーカリストのボーカリゼーションというのをコントロールする、こういう風に歌えと、という事で優秀なプロデューサーなりソングライターが、まあベリーゴーディ含めて、マイケルの思うように歌わせてくれなかった途中からどんどん自我が出来てきてこういう風に歌えばいいのにというのをなかなか抑え込まれていた。
で、最終的にベリー・ゴーディがマイケルが歌いたいように歌わせてあげろよって、まあマイケルが成長したのを見つけて言うんですけど。


そういった中でより子供っぽく歌えとか、より今までののイメージで歌えというのが、実際出来なくなっていくっていうのと、自分はそうしたくないというところでマイケルの中に非常に強いトラウマ―  これは、例えば95年のヒストリーというアルバムだったり、それ以降のマイケルがすべてをコントロールしていくわけですけれども、
その時に発散される あのー凄く不積になっているというかね、その頃に大変な思いをしてずーっと歌わされてたと。

アフロでなくカールです。


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Y:
まあーでも、子役スターが通らなければならない道筋ではありますけれどね。

イン ジャパン?

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この頃のトラウマをマイケルは後にも引きずっていくようですね。
天才子役としての周囲からの期待とソングライターとしての目覚めがマイケルを悩ませていたようです。

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